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阿仁鉱山と平賀源内

 

 科学者として知られる平賀源内(1726~1779)は、阿仁鉱山の技術向上にも貢献しています。1773年(安永2年)、銅山経営に行き詰まった秋田藩は、幕府直営の多田銀山・銅山、中津川鉄山の調査で実績のあった源内を招聘しました。源内と共に阿仁鉱山を訪れた鉱山士の吉田理兵衛は、阿仁鉱山における銅の精錬法を聞き、この方法では銅の中に銀が残ったままであり、大阪の商人たちが阿仁銅を含め秋田銅を珍重がる理由を知ったと言われています。

 

 源内らは阿仁に滞在して銅山経営の立て直しをはかり、精錬法を改良し、阿仁の産銅から銀を絞り出す技術(銀絞り法)を伝えました。これをうけた秋田藩は幕府の許可を得て1774年(安永3年)に能代市(旧二ツ井町)の加護山に精錬所を設け、阿仁の産銅から銀の抽出を開始しました。

 

 また、源内は良質な粘土を阿仁で発見し、「水無焼(阿仁焼)」を指導したとも言われており、水無焼の皿2枚が現存しています(うち1枚は伝承館に展示保存)。